1891年の内村鑑三による教育勅語拝礼拒否
発布翌年の1891年の内村鑑三による教育勅語拝礼拒否(不敬事件)をきっかけに、大切に取り扱う旨の訓令が発せられた。また、同じく1891年に定められた小学校祝日大祭日儀式規定(明治24年{1891年} 文部省令第4号)や、1900年に定められた小学校令施行規則(明治33年文部省令第14号)などにより、学校などで式典がある場合には奉読(朗読)されることとなった。これ以後、戦前には教育の第一目標とされるようになった。
1907年には、文部省が英語に翻訳し、そのほかの言語にも続々と翻訳された。これを機に、イギリスをはじめ各国から高く評価され、自国の教育指針を決定する際にあたって、この勅語を参考にした国もあったといわれている。ドイツ連邦共和国のアデナウアー首相もこの勅語を高く評価している。
その一方で文部大臣西園寺公望は、教育勅語が余りにも国家中心主義に偏り過ぎて「国際社会における日本国民の役割」などに触れていないという点などを危ぶみ『第二教育勅語』を起草したものの、西園寺の大臣退任により実現しなかった(西園寺による草稿は現在立命館大学が所蔵)ことなど、教育勅語は発布当時から神聖視されていたのではない。
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1930年代に入ると、国民教育の思想的基礎として神聖化された。教育勅語は、ほとんどの学校で天皇皇后の「御真影」(写真)とともに奉安殿・奉安庫などと呼ばれる特別な場所に保管された。教育勅語の文章を暗誦することも強く求められた。特に戦争激化の中にあって、1938年に国家総動員法(昭和13年法律第55号)が制定・施行されると、その態勢を正当化するために利用された。
第二次世界大戦が終わると、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、教育勅語が神聖化されている点を特に問題視し、文部省は1946年に奉読(朗読)と神聖的な取り扱いを行わないこととした。